まいどです。松本良史(@bouzz0021)と申します。
1983年生まれの34歳でございます。
地域おこし研究会スピカ代表/CoderDojo大山共同代表/着付師/鉄板焼屋まつもと
鳥取県奥大山江府町地域おこし協力隊として農事組合法人宮市で百姓修行しております。
居住地事のあらすじはこんな具合であります。
【尼崎編】兵庫は尼崎の生まれ。
【京都編】24歳で京都市に移住。松竹衣裳の着付師や飲食業など。
【カナダ編】嫁さんとワーホリへ。
【京都再び編】大豆問屋でノイローゼ。移住直前に離婚。
【鳥取編】2017年に鳥取の山奥、奥大山は江府町に移住。
1983年兵庫の鉄鋼業の町、尼崎市の南の方に生まれる。
友人たちとゲームばかりして育つ。スーパーファミコン世代。
中学二年の頃、父親がガンで死ぬ。酷くショックを受ける。
高校生活は母親がガンで入退院を繰り返していて、高校生活の半分くらい一人暮らし。
この辺りから母親の介護が始まる。 大学行くより母親の病院代稼ぐぞ!と高卒で就職。
そもそも大学行く金無かったけど。
でも世間知らずのわたしは一か月で三菱の会社辞める。ときメモ世代のオタクだったので。(ギャルゲーマー)
その後、従業員3人くらいの鉄工所に4年ほど勤める。
22歳くらいの頃、ガン治療の医療費が高すぎるのでコカコーラのベンディング業へ転職。
24歳、タフだった母親も死ぬ。再発を繰り返してもわたしを笑わせ続けてくれた。愛してます母よ。
人を笑わせる事が出来る人は偉大。
尼崎で私の強烈な死生観が構築されました。人は生きて死ぬんだという事を痛感。
とりあえず着物の仕事がしたい。と、無計画に仕事を辞めて49日を待たず京都へ引っ越し。
着付け教室で着付けの勉強をする。 この頃から着物を普段着として着だす。

着付けの仕事を探しながら京都の鉄工所勤務。 舞妓や芸妓の着付けをする男衆を目指す。
も、花街のしきたりがについていけなさそうで挫折。
縁あって知り合った小料理屋の女将に松竹京都撮影所を紹介してもらう。
撮影所勤務2週間目で作品の現場付きになる。初めて女優の帯を締めた。
芸能界って大変だなーと知る。芸能人って良い人多いなーと知る。
この頃から着物を通じて日本文化への興味が湧いてくる。衣食住への関心が高まる。
時代劇作品の少なさと、衣裳部の先輩方とウマが合わず辞める。 27歳くらいの頃。
紹介してくれた小料理屋にも多大極まる迷惑をかける。
両親がやってた「お好み焼き屋」ってモノを体験したい、背中を追いたいと、京都のお好み焼きに就職。
仲良しの西陣織伝統工芸士が、私の勤務先の店舗に毎回違う女性を連れてくる。
ある日また違う女性を連れて来て「今日はお前に紹介しようと思って連れてきた。」と言うので、「じゃあ明日飲みに行こう」と誘ってからその女性と妙に話が合う。
その女性と3か月後には結婚していた。 結婚して半年、ワーホリの準備アレコレって理由でお好み焼き屋を辞める。
京都生活と松竹京都撮影所で培った着物の話。
その半年後、2013年7月、帰国資金もないままワーホリに出発。全財産現金10万円しかなかった。二人で。仕事辞めてからワーホリ行くまでにFXで50万溶かす。
カナダに着いて2週間で仕事を決める。もはやワーキングホリデーならぬワークデイ。
カナダではスシレストランや、カフェで勤務。

時間に余裕のある暮らし。カナダでの暮らしで時間に余裕のある生活の良さを改めて知る。
季節労働や、フリーランスの多さに衝撃を受ける。
ファームステイを通じて、自分の力で生活を作るという選択肢に気付く。
地方移住もいいかなーとかぼんやり考えるようになる。
ワーホリ体験記。
カナダから帰国したら都会が窮屈になったので都落ちする事にした。
日々の苛烈極まる重労働と、元帝国軍人の恫喝に消耗しきる。ノイローゼに。
思いつきで行った鳥取県で江府町という原石を発見。イケてる田舎と勝手に断定。
ブラック企業で我慢してお金のために働くのは時間のムダと気付き辞める。
Twitterで現町長の白石さん(@hitogahito)と話ししたり、月一で江府町に通うようになり、あっさり地域おこし協力隊の採用決定。鳥取の家も畑や山つきで借りてます。
移住の直前に離婚しました。夫婦というのは色々ありますな。
2017年江府町に移住。34歳バツイチ。
様々な事がネクストステージになっております。
地方移住への道。
地域おこし協力隊でありますが、勢いで作った任意団体を4ヶ月としないウチに一般社団法人にしようとしたり、鳥取県庁と仲良くなってきたり、なんだか不思議な鳥取生活でありますよ。愉快。
ブログもそうですが、生き方としても衣食住には強く関心を持っています。
●衣
着るものって大事に使いたいですよね。ミニマリストってわけじゃないですけど着る洋服はけっこう制服化してます。
着物も大事なものだけ選択して同じ着物ばっかり着てます。ものを大事にするこころ。
着物の話。
●食
飲食業に真剣に取り組んでいると、どうしても食材への興味が絶えないんですよね。
そうなると農業にも目がいきます。
これから私が展開したい飲食店はいずれも小さなお店。地域のサロンとして機能するような小さな拠点を作っていきたいんですよ。がんばるぞ。
●住
都会って狭いじゃないですか。田舎はほんと広々して静かでいいですね。快適。
虫が苦手じゃなければサイコーです。
今の家は母屋が90坪で山や田畑合わせて907坪あります。家賃は25000円。ぼちぼち手入れや開墾しながら生きてます。
地方移住の話。
衣食住に重きを置いた田舎暮らしの雑記ブログであります。
都会だけが生活する場所じゃないですよ。都会のイイところもよく知ってますから都会disるわけじゃないですけどね。
鳥取はなかなかの穴場。人口少ないっていうデメリットを活かせる人にはサイコーな環境だと思います。
鳥取西部っていう地味すぎるスポットに移住してみませんか?いや、もうね、来て!鳥取!
江府町は役場との距離も猛烈に近いですよ。
人口3000人の一人になっておもろい事してみませんか?
1983年生まれの34歳でございます。
地域おこし研究会スピカ代表/CoderDojo大山共同代表/着付師/鉄板焼屋まつもと
鳥取県奥大山江府町地域おこし協力隊として農事組合法人宮市で百姓修行しております。
居住地事のあらすじはこんな具合であります。
【尼崎編】兵庫は尼崎の生まれ。
【京都編】24歳で京都市に移住。松竹衣裳の着付師や飲食業など。
【カナダ編】嫁さんとワーホリへ。
【京都再び編】大豆問屋でノイローゼ。移住直前に離婚。
【鳥取編】2017年に鳥取の山奥、奥大山は江府町に移住。
尼崎編。両親の死。
1983年兵庫の鉄鋼業の町、尼崎市の南の方に生まれる。
友人たちとゲームばかりして育つ。スーパーファミコン世代。
中学二年の頃、父親がガンで死ぬ。酷くショックを受ける。
高校生活は母親がガンで入退院を繰り返していて、高校生活の半分くらい一人暮らし。
この辺りから母親の介護が始まる。 大学行くより母親の病院代稼ぐぞ!と高卒で就職。
そもそも大学行く金無かったけど。
でも世間知らずのわたしは一か月で三菱の会社辞める。ときメモ世代のオタクだったので。(ギャルゲーマー)
その後、従業員3人くらいの鉄工所に4年ほど勤める。
22歳くらいの頃、ガン治療の医療費が高すぎるのでコカコーラのベンディング業へ転職。
24歳、タフだった母親も死ぬ。再発を繰り返してもわたしを笑わせ続けてくれた。愛してます母よ。
人を笑わせる事が出来る人は偉大。
尼崎で私の強烈な死生観が構築されました。人は生きて死ぬんだという事を痛感。
京都編。着付師。飲食業。結婚。
とりあえず着物の仕事がしたい。と、無計画に仕事を辞めて49日を待たず京都へ引っ越し。
着付け教室で着付けの勉強をする。 この頃から着物を普段着として着だす。

着付けの仕事を探しながら京都の鉄工所勤務。 舞妓や芸妓の着付けをする男衆を目指す。
も、花街のしきたりがについていけなさそうで挫折。
縁あって知り合った小料理屋の女将に松竹京都撮影所を紹介してもらう。
撮影所勤務2週間目で作品の現場付きになる。初めて女優の帯を締めた。
芸能界って大変だなーと知る。芸能人って良い人多いなーと知る。
この頃から着物を通じて日本文化への興味が湧いてくる。衣食住への関心が高まる。
時代劇作品の少なさと、衣裳部の先輩方とウマが合わず辞める。 27歳くらいの頃。
紹介してくれた小料理屋にも多大極まる迷惑をかける。
両親がやってた「お好み焼き屋」ってモノを体験したい、背中を追いたいと、京都のお好み焼きに就職。
仲良しの西陣織伝統工芸士が、私の勤務先の店舗に毎回違う女性を連れてくる。
ある日また違う女性を連れて来て「今日はお前に紹介しようと思って連れてきた。」と言うので、「じゃあ明日飲みに行こう」と誘ってからその女性と妙に話が合う。
その女性と3か月後には結婚していた。 結婚して半年、ワーホリの準備アレコレって理由でお好み焼き屋を辞める。
京都生活と松竹京都撮影所で培った着物の話。
カナダ編。生き方を問う。
その半年後、2013年7月、帰国資金もないままワーホリに出発。全財産現金10万円しかなかった。二人で。仕事辞めてからワーホリ行くまでにFXで50万溶かす。
カナダに着いて2週間で仕事を決める。もはやワーキングホリデーならぬワークデイ。
カナダではスシレストランや、カフェで勤務。

時間に余裕のある暮らし。カナダでの暮らしで時間に余裕のある生活の良さを改めて知る。
季節労働や、フリーランスの多さに衝撃を受ける。
ファームステイを通じて、自分の力で生活を作るという選択肢に気付く。
地方移住もいいかなーとかぼんやり考えるようになる。
ワーホリ体験記。
京都再び編。正社員というものを辞める決断。
カナダから帰国したら都会が窮屈になったので都落ちする事にした。
日々の苛烈極まる重労働と、元帝国軍人の恫喝に消耗しきる。ノイローゼに。
思いつきで行った鳥取県で江府町という原石を発見。イケてる田舎と勝手に断定。
ブラック企業で我慢してお金のために働くのは時間のムダと気付き辞める。
Twitterで現町長の白石さん(@hitogahito)と話ししたり、月一で江府町に通うようになり、あっさり地域おこし協力隊の採用決定。鳥取の家も畑や山つきで借りてます。
移住の直前に離婚しました。夫婦というのは色々ありますな。
鳥取編。
2017年江府町に移住。34歳バツイチ。
様々な事がネクストステージになっております。
地方移住への道。
地域おこし協力隊でありますが、勢いで作った任意団体を4ヶ月としないウチに一般社団法人にしようとしたり、鳥取県庁と仲良くなってきたり、なんだか不思議な鳥取生活でありますよ。愉快。
おもしろ百姓になりたい。
ブログもそうですが、生き方としても衣食住には強く関心を持っています。
●衣
着るものって大事に使いたいですよね。ミニマリストってわけじゃないですけど着る洋服はけっこう制服化してます。
着物も大事なものだけ選択して同じ着物ばっかり着てます。ものを大事にするこころ。
着物の話。
●食
飲食業に真剣に取り組んでいると、どうしても食材への興味が絶えないんですよね。
そうなると農業にも目がいきます。
これから私が展開したい飲食店はいずれも小さなお店。地域のサロンとして機能するような小さな拠点を作っていきたいんですよ。がんばるぞ。
●住
都会って狭いじゃないですか。田舎はほんと広々して静かでいいですね。快適。
虫が苦手じゃなければサイコーです。
今の家は母屋が90坪で山や田畑合わせて907坪あります。家賃は25000円。ぼちぼち手入れや開墾しながら生きてます。
地方移住の話。
衣食住に重きを置いた田舎暮らしの雑記ブログであります。
都会だけが生活する場所じゃないですよ。都会のイイところもよく知ってますから都会disるわけじゃないですけどね。
鳥取はなかなかの穴場。人口少ないっていうデメリットを活かせる人にはサイコーな環境だと思います。
鳥取西部っていう地味すぎるスポットに移住してみませんか?いや、もうね、来て!鳥取!
江府町は役場との距離も猛烈に近いですよ。
人口3000人の一人になっておもろい事してみませんか?