中国の古典からは学ぶものが多いですね。


菜根譚
(さいこんたん)は、中国の古典の一。前集222条、後集135条からなる中国明代末期のものであり、主として前集は人の交わりを説き、後集では自然と閑居の楽しみを説いた書物である。別名「処世修養篇」(孫鏘(そん しょう)の説)。洪自誠(洪応明、還初道人)による随筆集。

その内容は、通俗的な処世訓を、三教一致の立場から説く思想書である。中国ではあまり重んじられず、かえって日本の加賀藩儒者、林蓀坡(はやし そんぱ、1781年-1836年)によって文化5年(1822年)に刊行(2巻、訓点本)され、禅僧の間などで盛んに愛読され、仏典に準ずる扱いも受けてきた。また実業家政治家などにも愛読されてきた。尊経閣文庫本が所蔵されている。

wikiより引用。

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心に残る言葉を3つ。古典から学ぶ事は多いにありますね。温故知新ですのう。

多く蔵する者は厚く失う。故に富は貧の慮無きに如かざるを知る。

たくさんモノを抱え込んでる人は多くのモノを失う。
だからモノをたくさん持ってる人は、あんまりモノ持ってない人の心配事の少ないのを見たらビックリしますよ。と。

確かにそうです。モノが多いとそのモノを失うという心配事が発生するワケですもの。
モノが少ないとその心配事は減っていくばかり。むしろ所有してなければ皆無。

失うモノが少ないってのは強みだと思うんですよ。数少ない「対象」に集中できますからね。

「真に守るべきモノ」があるはずです。たくさんモノがあると、あれもこれも守らないといけませんよね。そんな事して手が回るのか?

その真に守るべきモノに、気付いているか?

高く歩む者は疾く躓る。故に貴は賤の常に安きに如かざるを知る。

身分とか立場のある人はちょっとした事でつまずくけど、身分とか立場の無い人はコケるって事をしない。

ですよねー。会社でも役職の人やらは少しのトラブルで問題になりやすいものです。

変な肩書やら背負うモノがなければ、つまずく心配も無い。

高みを目指す事は素晴らしいとは思うんですけど、不必要な肩書にしがみつくと余計な心配ばかり増えてしまいます。だから肩書でしか名前を呼ばれないんです。役職って大事なのか?

ようはその人が「何を出来るか?」とかじゃないですかね。


花は半開を看、酒は微酔に飲む。此の中に大いに佳趣有り。

花は半開くらいで観る。酒はほろ酔い。そのくらいが一番おもしろい。


風情があって良いですなぁ。

こういう思想って世界中でありますね。中国は特に多い気がします。中庸なんて言葉もあるし。

なんか日本的。なるほど、禅だな?

満開の桜よりも、五分咲きくらいで遠くから愉しむ。「ああ、もう桜の頃か」
いやこりゃ風情がありますなぁ。花見シーズンでも満開の頃って人多すぎて風情もあったモンじゃないですよ。

わたしは人の洪水みたいな環境苦手なので、そんな場所で満開の桜見ても楽しめないです。


何事もそうですけど、完成しきって完全無欠、隙なし!ってモノより、未完成で様々な解釈が出来る。これから自在に発展していく。って方が楽しくないですか?

そんなに高額な本でもないですから。オススメです。ミニマリストの皆さんとか好きそうですよ。