よいちゃんサムネカラー

むううん。たまに考えます、着物のこと。

坂口安吾が昭和18年にこんな事を言っております。



ゲーテがシェクスピアの作品に暗示を受けて自分の傑作を書きあげたように、個性を尊重する芸術に於てすら、模倣から発見への過程は最も屡々行われる。インスピレーションは、多く模倣の精神から出発して、発見によって結実する。

キモノとは何ぞや?
洋服との交流が千年ばかり遅かっただけだ。そうして、限られた手法以外に、新らたな発明を暗示する別の手法が与えられなかっただけである。日本人の貧弱な体躯が特にキモノを生みだしたのではない。
日本人にはキモノのみが美しいわけでもない。
昭和十八年 坂口安吾 「日本文化私観」

私は着物を日常着の一つとして扱ってますけど、着始めたころは「着物とはこうだ!!OOでないといけない!!」とかmixiで散々わめいておりました。

2008年くらいの話ですかね、うぬ、恥ずかしい。不快に思ってた方々ごめんなさい。


普段着としての着物生活。

あれから時を経て、毎日着物に袖を通してたりしてると、なんかもう「いや、そんなんどうでもええわ」という感覚の方が強くなってきましてね。

毎日着物で生活はしてるワケではありません。洋服も好きです。松本家にとって着物も洋服と同じ日常着って扱いなだけです
洋服と着物の比率は季節に寄っても変動しますしね。

いやほんと、アレですよ。洋服を着るのに何も考えないのと同じですよ。
着物だってそれが日常になれば、何も考えないものです。楽に着るには部屋で着るくらい三尺紐でいいし、兵児帯だって良い。女性でも柔らかい裂き織の帯とか兵児帯とかしてればしんどくないものです。

「着物を着ると背筋がピンとする。」いや、しない。Tシャツ・ジーパンの時に背筋がピンとしますか。いや、そんな事ありますまい。

背筋がピンとするのは晴れ着を着た時です。紋付袴の時はそりゃピンとします。

日本には「ハレとケ」 ってモノがありますから。非日常と日常は区別されるモンですよ。



現代日本において、「着物」そのものが「非日常」であるってのはよくわかってます。
その認識が変わる事は当面無いと思ってます。


とは言え

色々と理由はあるでしょうけど、「非日常である着物」への誤解というか、偏見が強すぎませんか?

日本人がもともと着てた民族衣装を花火大会や祭り、正月だけのモノにするのは勿体ないなぁと考えてます。 

松本家の場合の普段着物生活を公開してみようかと思います。

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夏の着物生活

夏場は浴衣というまだ巷にも馴染みのある着物が普及してるおかげで浴衣姿をちょいちょい見かけますよね。祭りとか花火大会とか。

快適なんですよ浴衣って。夏の部屋着に取り入れてみては如何でしょうかね。

夏場は風呂上りに全裸で浴衣羽織ってたり、掛け布団代わりに浴衣かけて寝たり。京都の夏って凄く蒸し暑いのでジーパンとか履いてられない。蒸れて蒸れてもうたまりませぬ!

ので、夏場は一番着物で居る時間長いかもです。
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ふんどしがチラリしてますけど、見せふんです。ふんどしの記事も書いてたなそういや。


麻のふんどしの通気性は尋常じゃないですよ。もう蒸れる事知らない最強のアンダーウェアだと思ってます。乾くのも爆速であります。

ふんどしと浴衣の組み合わせは世の男子諸君には是非とも体験して欲しいコラボです。コラボでもないか、昔の日本男子の夏の姿ですね。ふんどしx浴衣x三尺紐・・・これは最強に快適な夏の部屋着になると思うんですけどねぇ。浴衣なんで風の通りがTシャツの比じゃない。

部屋の中では角帯はしてませんよ。専ら三尺紐です。外出するときも、そのまま出たりします。
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左が私。デニム着物に三尺紐(という名で呼んではいるけど、ただの布です。切りっぱなしの)

写真右の私の友人が着てるのは、洋服生地で作った木綿の着物です。彼自身洋裁が出来る人なので自分で縫ってました。

夏の場合、着物っていうてもほぼ浴衣ですけどね。休日だと1日3回くらい浴衣着替えたりします。全部洗濯機で洗ってます。Tシャツみたいなモンです。どっか飲みに行ったり、お出かけする時は夏着物着てたりする事もあります。

間の季節の着物生活。

春や秋なんかは寒くもなく暑くもなく。そういう季節はだいたい下馬付きです。
私は襦袢をほとんど着ないんですよ。下馬付きって着方です。
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分かりやすい写真が尻端折りしてるヤツしかありませんでした。なんでこういうポーズなのかは自分でもわかりませぬ。
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襟元見てもらうとなんとなく分かると思うんですけど、襦袢のように着るんじゃなくて、浴衣と着物を一枚の着物のように着るワケです。

撮影所時代に知りました。ベテランの時代劇俳優さん達だいたいそうです。
歌舞伎の人は間違いなくそうでした。あと、歌舞伎の人たちは全員ふんどしでした。さすが伝統芸能の人だと感動したものですよ。。真冬でもふんどしだったな。
タフネス。

別に祭りに行くでもパーティ行くでもないし、部屋着だったり、日常生活なのでかしこまる必要もないワケですから下馬付きが楽なんですよね私には。

これをしてると、着物への汚れが大幅に軽減されるワケです。中に浴衣を重ねて着てるので
一番汚れやすい襟回りが浴衣でガードされるワケですよ。汗かいた時でも浴衣が吸ってくれるのでそのまま洗濯機へGOです。快適!!


襦袢着るのは正装ほどじゃなくても、ちょっとはフォーマルな場所に行くときだけですね。ちゃんと足袋も履きますよ。たまに黒い靴下だったりしますけどね。

冬場の着物生活

冬場はドテラにくるまったり。綿入れの着物ですね。丹前とか褞袍(どてら)とか言うようです。綿入れ、とも。
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めちゃくちゃ温かいんですよ。綿入れって。なんかちょっと前から着る毛布とか出てるじゃないですか。
あれ別に新しくもなんともなくて、日本には昔から「綿入れの着物」ってモノがあるんですよ。

綿入れの着物は綿の量が多ければ、それはもう「着る布団」です。掻巻と言います。

これも古くから日本の各地で使われてきました。

掻巻(かいまき)とは、のついた着物状の寝具のこと。

掻巻とは袖のついた寝具のことで、綿入れの一種である[2]。掻巻は長着を大判にしたような形状で、首から肩を覆うことによって保温性に富む。

布団のように掛けて用いるほか、寒さの厳しい東北地方などでは帯を用いて使用されてきた。多くは冬の時期に使われていたが、子供に対しては寝冷え防止のため、通年で使う場合もあった。問題点としては、帯を用いた場合に寝返りを打ちにくく、暑くても布団のように払えないため、寝苦しくて起きた場合に帯をはずしてしか脱げないことが挙げられる。

掻巻は主に室内で使用され、戸外に着ていくことはない。綿入れのほか、同じ形状をした掻巻毛布もある。

現在では使用する家庭が少なくなってきている。

引用wiki

京都では冬場は芯から冷えるので、あんまり寒いとハイテク発熱下着とかと併用して下馬付きで着物きて、その上からドテラ。または羽織。って具合です。
私の場合は近場だったらドテラのまま外出しちゃいますけどね。あったかいし。

あんまり冷え込むと、ダウン着てます。別に着物は無理して着るもんじゃないですから。
使い分けが大事ですって。
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とか言いつつも、カナダ暮らしの頃も変わらず着物はしょっちゅう着てました。やっぱり服は好きなの着てたらいいや。
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実際寒い地域で着物を着続けてましたけど、だいたいマイナス30度くらいまでが限度です。
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それより下回ると、外と室内との温度差に対応出来ませんからね。

着物って着こむモノなので、ダウンとかみたいに単品で風と寒さをシャットアウトする機能が無いんですよ。
インナーにハイテク下着とか着こみまくると、室内で暑いし・・・キルティング半纏とかあったら良いな防寒用に。

マイナス30度くらいまでです。着物は。いくら東北でもそんな気温ならんですよ。着物はそういう風に出来てません。

あと、冬場はコレですなー!
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長火鉢で暖まるのは良いモノです。炭の匂いがたまりませぬ。鉄なべをみんなで囲んでワイワイやるのも乙なモンでございますよ。

鳥取移住したら囲炉裏作りますよ。囲炉裏ベースはあるんですよ。今は掘りごたつになってるけど
確実に囲炉裏だった痕跡があるので、復活させます。

着る物、着物。

なんで着物を着てるのか?って聞かれると好きだからです。それ以外に理由がありますか。

 きものにもさま/″\あるが、煎じつめれば、きものは皮膚の延長だとわたくしは思つてゐる。
 裸身はだかでは居られないので、天然の美を被ふのに、その顏によく似合つた色の布を選らむのは當然なことで、すこしでも美しいのをといふ心持ちが、色彩に敏くなり、模やうや、かたちまでが種々に變化し、賣手のつくる流行に支配されると、自分の皮膚とは、似てもにつかないものをつけることになつて、化粧を濃くしてごまかし、自分の本來のものを殺してまで衣服の柄の方に顏を合せようとする不自然さになつたりする。
長谷川時雨の随筆「きもの」より引用

私も皮膚の延長だと思います。
しきたりだなんだ、ここは何cmだとか、ほんとどうでもいい。

そういうのほとんど後付けですから。

着物とは着る物でありますからねぇ、最終的には「着る物」その一点に帰着すると思いますよ。着る物。着物。


循環型社会がどうのって話は最近よく聞く事ですけど、着物だってそうです。

寸法も、男は何寸、女は何寸と定法じやうはふがあり、大概それで誰にも着られる。子供は、何歳までが四ツ身、その下が三ツ身、その下が赤兒用の一ツ身で、四ツ身は何尺の裂地が入用、一匹の布(成人用の二反が一機ひとはたで、二反つながつてゐるのが一匹)で四ツ身は三ツとれる、三ツ身は半反で出來る、一ツ身は一反の三分の一の裂れ地で出來ると教へられる。
 ふぞくした繻絆でも、下布でも、みんな堅長、横長、角型であるから、たち屑も出ないが、裁ち、縫ふのが樂であると共に、着るのも樂だ。しかも、老年者のは男女共通の布ですむし、夜着にも風呂敷にも、雜巾にも、あますところなく最後まで役に立つ。
これも先の引用に同じ、長谷川時雨の随筆「きもの」昭和14年に書かれたものです。


木綿や麻の着物は畑から生まれます。絹を作る蚕は虫です。完全な天然素材です。オーガニックです。今は綿も絹もそうじゃないモノ数多くあるでしょうけどね・・・

畑から育った綿花は木綿になり、草木で染められ、織られて反物になり、その人の寸法にオーダーメイドされて仕立屋さんや和裁の上手な人が縫ってくれて。長年着たらほどいて一枚の布にも成れば、風呂敷にもなる。布団カバーにだってできる。本当に使わなくなったら、火を点ける燃料なんかにして燃やして使えば良い。

染料云々、素材云々を論ずるつもりはありません。化学染料でも化学繊維でも良いものは良い。私もデニム着物は愛用してますしね。頑丈だし。

全部が全部旧時代に戻せ!って言うつもりはないですよ。畑から生まれず土に還らない着物でも、一生モノです。近代の技術で頑丈に作られてるなら、子供に遺したら良いんです。

着物ってのは安価に大量に製造されて消費消耗されるモノではなくて、ひとつひとつ丁寧に作られ、そのひとつの着物を長年手入れして大切に使い、その着物の命が燃え尽きるまで数十年使えるとってもサステナブルな衣類だと思います。

しょせん着る物、であるけども、今のファストファッションなどに代表される洋服との違いはそこじゃないですかね。一枚あれば、一生使えますから。ミニマリストのみなさん如何ですか?

着物だけじゃなくて
ひと昔前の日本の文化や知恵は、今声高に言われてる循環型社会に凄く近いものだと信じて止まないところです。